渡辺松男 『きなげつの魚』

亡き妻の素肌のやうな雲海をベッドとおもふ曙光を受けて

あッあッとかすかなるこゑ切株の銀河にのまれゆける蜻蛉(あきつ)の

旻天に遠くちひさく一生の反射のやうな銀のひかう機

おほきなるめまひのなかのちひさなるめまひかなこのあさがほのはな

たましひのありか教ふる雨音にこんなにうすく鼓膜はありて

 

言葉は血肉からしか生まれ得ない。当然ながらどんな精緻なロジックも私達が身体から自由ではない以上その根元は血にまみれる。一首目はこの世に不在の妻の肌の記憶。二首目、「銀河」に呑まれる蜻蛉の「あッあッ」は歓喜とも驚きともつかない原初的な音。四首目、「おほきなるめまひ」の中に私たちはある。血肉をまとう言葉の律動が韻律と深く結びあう第八歌集。  ­(嵯峨直樹)

2015.2 未来 「今月の歌」