Monthly Archives: 12月 2014

齋藤芳生『湖水の南』

私の悪態も愚痴も引き受けてなお美しかったのだ故郷は

祖父よ眼を閉じてもよいか烈風に煽られて針のように雪来る

昭和を生きて昭和に祖父は眠るなり我はおろおろ平成にいて

黒く重く阿武隈川は流れゆく吹雪にしびれいる福島を

かなしみのように糖度は増してゆく桃の畠に陽の傾ぐとき

 

 

福島出身の作者の第二歌集。前歌集『桃花水を待つ』は、中東アブダビでの生活を描きながらも、常に郷里に住む家族、自然への愛に立ち還るのが印象的だった。郷里への帰属意識をとうに失った人も多いだろうが、(それが不幸だとは言わないが、)この人は違う。原発事故で郷里を汚された哀しみが歌集全体を覆う。郷里は祖父母から受け継いだ命の有り所なのである。   (嵯峨直樹)

2014.12 未来 「今月の歌」

同人誌「美志(復刊5号)2014.3月号」に寄せた批評文 

コミュニティから見る短歌史の生まれる場所            嵯峨直樹

 

ここに掲載するのは、二〇一三年短歌研究評論賞に応募した批評文に加筆、修正したものである。「歌壇」だとか、それを慎重に言い換えて「短歌界」だというが、肝心の、当該共同体に関するイメージが個々人によってあまりにバラバラなために議論が深まらないと常々感じていた。

人は自身の立っている場所のめぐりからモノを考える傾向があるから、「歌壇」に対するイメージはある程度バラバラでも構わないとは思うのだが、あまりにも、バラバラ過ぎると議論に支障をきたす。

また、この共同体の生む「短歌史」というものに対しても、それが語られたり、議論がされたりする度にその根拠の危うさについて思う事が多い。端的に、それは誰が書いたのか、その正統性は何が担保するのか、という事である。こんな風に思うようになったのは、インターネットという新しいメディアの登場とやはり無関係ではないだろう。世の中の階層性が崩れ→権威が成り立ちにくくなり→フラット化が進行している、とはよく言われるが、権威が減退してゆく時代に「短歌史」は果たしてこれからも機能するのだろうか。また、そもそも「短歌史」はこれからも書かれるのか。書かれるとしたらどういった形なのか。もしかしたら、「短歌史」というものは、ある特定の時代の共同体がその維持に必要とした物語に過ぎず、これからは必要とされないかも知れないのである。

前置きが長くなった。本論は、話題になった詩人の金井美恵子の批評をネタに展開している。深沢七郎の風流夢譚論を口実に書かれた歌壇批判で、火の付きやすいわたしは当初、腹を立てて読んだ事を告白しておく。高島裕も「黒日傘」という個人誌で「出直して来い。」(『短歌のために』)とまで言っていたが、(あまりの言いように私は笑ってしまった。気持ちが分かったのである。)冷静になって読むと、実のところかなり的を得ている批評である。最も高島の場合は、わざと冷静さを欠いているのだろうが。

 

1、   コミュニティから現代短歌の構造を読み解く

 

詩人の金井美恵子による「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので『風流夢譚』で短歌を解毒する(以下「『風流無譚』で短歌を解毒する」」(KAWADE道の手帳 深沢七郎)は『風流夢譚』の批評の名を借りた歌壇批判である。歌会始めを頂点とし、その底部に新聞歌壇をはじめとする「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」(金井)を持つ短歌のヒエラルキー構造を深川七郎の「風流夢譚」を引き合いにだしながら痛烈に揶揄している。

すでに話題になっているが、島田修三は「偏見まみれの詩人が知ったような御託を並べてくれるじゃないの、程度に私は軽くみていたが、後で冷静に読み直すと、ごもっとも、と言わざるを得ないところが多々あって、深いもの哀しさに襲われたのであった」(うた新聞 二〇一三年四月号 いりの舎)と留保付きで認める発言をしている。こういった挑発を目的とした文章に議論が起こってしまった事自体、金井の術中にはまってしまったと考えてよいだろう。ロジックの破綻の目立つ文章だが、外部から短歌の世界がどう見えているかの典型例として、私は興味深く読んだ。

近年、特にインターネットの登場以降、現代短歌が依って立つコミュニティが多様化している。多様化というのは、不明瞭化でもあり、自身が発表している作品が誰に届く可能性があり、誰に対しては届かないのか、が非常に分かりづらい状況にある。また、それぞれのコミュニティ同士で作品の評価軸が異なるため、どういった歌を良いとし、良くないとするのか、コンセンサスが得づらい状況にある。例えば、「切実さ」といったタームが最近流行しているが、価値観が多様化しすぎて、「切実さ」といった漠然とした言葉しか共有し得ないの程の状況だと言っても良いだろう。

私達歌人が意識的、無意識的に依って立つコミュニティとは現在、どのような状況にあるのか。金井の文章に沿って考えていきたいと思う。目新しい事はないかも知れないが私達の依って立つ足元の自明性が揺らいている以上、それを一つ一つ丁寧に確かめていく作業は無益ではないと考える。


2、「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」

 

金井の「『風流夢譚』で短歌を解毒する」が面白いのは、新聞の投稿欄、いわゆる新聞歌壇を「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」と名付けている所である。この上に「プロというのか専門家というのか歌人」(『風流夢譚』で短歌を解毒する)がおり、彼女の見立てでは、更に上に皇室があるという図式である。歌壇のヒエラルキー構造を問題化しているのであるが、一つ一つ見ていきたい。金井の評論(?)を元に、私自身がそれを敷衍していくというスタイルで書いてゆく。実際の彼女の文章をぜひ読んでいただきたいのだが非常に読みずらく、真意もつかみづらい。注意して欲しいのは、例えば本節で取り上げる「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」というのは彼女の発案の魅力的なフレーズだが、その内実に関する記述はすべて私の考えだという事である。後節も同様である。あくまで、金井美恵子の文章をもとに私(嵯峨)が考えた事だという事を留意して読み進めていただきたい。

金井がいう「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」は、非常に流動性が高い集団である。短歌を趣味として始めようと思った人、人生の重大事に遭って短歌ができた人、カルチャーセンターに通いはじめた人、誰かの短歌作品を読んで感動した人などなどが次々と流入してくる。他方で、忙しくなってなんとなく止めてしまったり、飽きてしまったりなどで出ていく人も多い集団である。この出入りの度合いについては、集団ごとにクラス分けする事ができるだろう。都度都度で立ち上がり解消する短歌コンクールは流動性が高く、新聞短歌、テレビの短歌コーナー、カルチャセンター、ソーシャルネットワーキングサイト上の短歌コミュニティ、結社……といった具合に流動性は減ってゆく事が想像できる。

これらのコミュニティはそれぞれ支配する倫理が異なる。すなわち、五七五七七になっていればそれでよい、という場合もあるだろうし、短歌としての出来を重視する場合もあるだろう。これら、価値観の異なるコミュニティは、一つ一つ離れて存在しているのではなく、お互い重なり合いながらひしめいている。例えば、カルチャーセンターで講義を受けながらネットのSNSで発表をする、結社に属しながら新聞短歌に投稿、など2つ、3つのコミュニティに所属している人もかなり多い。

金井が深く関係している現代詩の世界と短歌の世界の違いは、この「共同体の底辺を支えている」「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」の存在が大きい。現代詩の「共同体の底辺」を支える可能性のあったものとして、女子中高生を中心とした恋愛の詩を主調とした「ポエム」の世界や人生訓的な詩の世界があり得ただろう。が、現代詩はこれとの関係を持たない事で成立している。このアマチュアを主体とした膨大な分母を含み持つ事で、短歌や俳句は、新聞や雑誌に大きな投稿欄を持つことができている。短歌、俳句と他の文芸を別つ最も大きな点がこの巨大なコミュニティ群である。仮にこの巨大コミュニティ群が無かった事を考えてみると分かり良い。ある種、雑音が少なく純粋な文学として現代短歌は成立し得るだろうが、ジャンルとしての存在感は減退を免れえないだろう。後述するが、新人の育成、教育といった短歌、俳句特有の、あたかも公共機関のような考え方は、この巨大な分母の故に成り立っている。
3、結社

 

短歌の「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」の中で特権的な位置を占めてきたのは、結社と呼ばれる特定の歌人を中心に置くコミュニティである。この結社に関しては、金井の「『風流夢譚』で短歌を解毒する」にはさわり程度にしか出て来ないが、新聞歌壇やカルチャーセンター、ネットのSNSや学生短歌よりも高い位置にあり、「プロというのか専門家というのか歌人」を排出したり、下支えする重要な役割をはたしている。

この結社という組織体は長く、新聞歌壇やカルチャーセンター、更には学生短歌をきっかけに短歌をはじめた人達の受け皿になってきた。短歌を始めた人を繋ぎとめる役割をはたし、中心となる歌人の価値観の伝承を役割としてきた。

結社に期待される役割については、篠弘が二〇一三年「うた新聞」五月号の短歌結社の特集にかなり率直に書いている。土岐善麿が昭和四十七年に「八雲」に書いた「結社消滅論に就いて」をまとめながら自論を述べているのだが、ここで重要なのは、土岐善麿も篠も新人養成機関としての短歌結社を強調している事である。特に篠は、ここで「有力歌人は新人を捜し、新人を育成する使命を持たなくてはならない」(新人を育てる責務)と明言している。篠のこの論は、特に極端なものではなく、結社に所属している歌人なら無意識に共有している倫理でもあろう。これは、短歌および俳句に特異な倫理観といってよい。他の文学、現代詩や純文学に新人を育てるといった倫理観が無いとはいわないが、短歌、俳句のそれの強固さは異様とも言える。これは「歌壇」が前述の「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」を含み持っているからに他ならない。「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」から新人を発掘し、結社組織で育成、より上位の「プロというのか専門家」のコミュニティの一員を創るといった図式である。

篠は先の短評の中で、「(総合誌の)「短歌」の投稿者の四割近くが、結社に所属しない人たちである事に驚く。」と書いているが、結社組織は近年、減退の一途をたどっている。

今井恵子は、現代短歌新聞二〇一三年五月号の時評の中で、光森裕樹がウェブ上に公開した「短歌結社・同人誌などの状況(1980年と2012年の比較)」というブログ記事(http://www.goranno-sponsor.com/blog/2013/02/12-198019802012-19802012.html

をひいて、結社組織の急激な弱体化について書いている。光森裕樹のブログ記事とは以下のようなものである。

データのもとになっているのは、1980年版と2012年版の角川短歌年鑑の住所録。この二つを比較する事で、約30年間の結社組織、同人誌の組織率の変化をあぶり出している。1980年と2012年では角川のデータの計算方式が違っていたりして、厳密ではないが、「細かな数値に拘泥されることなく、おおまかな傾向をつかむ助け」(光森)になる貴重な仕事である。

「総数としては、335結社→260結社と約20%減少」してはいるが、元々結社の高齢化が言われているし、無くなった結社もちらほらと見てきているので、これは予想していた通りと言える。今井が同時評で「少なからず驚いた」としているのは、会員数の推移の試算の方で、

 

「全体」 : 1980年:131,808 会員 → 2012年:推定 70,636 会員 (46%減)

「結社」 : 1980年:108,520 会員 → 2012年:推定 58,874 会員 (46%減)

「同人誌など」 : 1980年:23,258 会員 → 2012年:推定 11,763 会員 (49%減)

 

というものである。ちなみに、この試算は、角川短歌年鑑の「1980年の住所録には「会員数」、2012年の住所録には「出詠者数」が記されている」(光森)ため、会員中の出詠者数を「結社誌「塔」2012年12月号の「出詠率」は80%」を根拠に80%と推定、1980年の会員数の統計に補正を加えている事に留意しておくべきであろう。

今井は光森のこのデータをこう引用したのち「かつての結社における求心力を思うと、暗澹とした気持ちになる」と述べ、「結社をふたたび活発な創造の場とするため、新しい仕組み作りが望まれる」と結んでいる。

「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」、歌人の育成機関としての側面を持つ結社、その更に上には、金井のいうところの「プロというのか専門家というのか歌人」が存在する。「上」と私が書いているのは、教育する側、教育される側といった関係性の事をさしている。

 

4、「プロというのか専門家というのか歌人」

 

「『風流夢譚』で短歌を解毒する」の金井は、「プロというのか専門家というのか歌人」を新聞歌壇の選者としているが、もう少し広く、結社組織や同人誌から実力の承認を得た歌人と想定した方が分かり良い。承認のされ方には種々あるだろう。何かの賞を取るといった形が一般的で、こういった賞のたぐいは、承認の過程の可視性によってその正統性を保っている。

これら「プロというのか専門家というのか歌人」は、商業出版物である総合誌に作品を発表したり、様々なコンクールで選歌をしたり、カルチャーセンターで講師を受け持ったりしている。

「プロというのか専門家というのか歌人」の人数はどれくらいいるのだろうか。専門家とか、歌人か否かという区分けは不可能に近いのだが、ざっくりとした目安として、三〇〇〇人という数字を出してみる。これは角川短歌年鑑に掲載されている歌人の人数である。異論はあろうが、ここで重要なのは、数百人単位の人数ではなく、なおかつ、数十万人単位の人数でもない、という事である。

短歌史と呼ばれるものは、主にここを主戦場に作られるが、この短歌史は数千人単位で作っている小集団の歴史である事は留意しておくべきだろう。高等学校3つ程度の人数だとすると分かりやすいかも知れない。

 

5、「皇室御用掛」の「大歌人」

 

さて、その上に「皇室御用掛」の「大歌人」が君臨しているというのが金井の見立てだがこれは半分当たってると言わざるを得ないだろう。

「大歌人」かどうかはともかくとして、天皇の歌会始に出る歌人は、「プロというのか専門家というのか歌人」の中から選ばれた歌人に相違ない。もちろん歌会始めに出る事を目標としている歌人は、ほとんど存在しないだろうし(もしかしたらいるかも知れないが)、現代短歌の中で歌人の評価軸としてそれほど重要な位置を占めているとは思えない。現代短歌で話題になるとしたら、歌会始めに出る事の政治的な意味合いくらいであって、歌会始めで詠まれる歌を含めたその内実ではない。

しかし、これは、あくまで「歌壇」内からの視点であり事情なのであって、金井のように外部から見たらば、それが重要でないという事はあり得ないのである。

実際、金井美恵子の文章は、深沢七郎を特集したムック本に書かれたものだが、深沢七郎が風流夢譚で御用掛け歌人を茶化したのも、そこに非常に重い意味を見出したからに他ならない。要するに、当の歌人が歌会始に重要性を見出していなくても、外からはそう見えており、そう思われても致し方ないのである。

 

6、キャンディ状の両端の捩じれ

 

ここまで、金井の文章を敷衍して「歌壇」のコミュニティを階層別にみて来た。

こうして見ると、「歌壇」は、その最下部は、「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」において、最上部は歌会始において、社会に対して開かれているという事ができる。

面白いのは、この最上部と最下部において「歌壇」は、現代短歌としてではなく、「和歌」として社会と接合しているという点である。丁度、包み紙に包まれたキャンディのように上と下がくるりと捩じられている。

現代短歌を挟んで上部と下部は、和歌のイメージよって成り立っている。宴会等で「そこで一首!」などと言われて困惑する事が多いのは、短歌が着物を着て短冊に筆ですらすらと書くという和歌のイメージを抱えているために起こる笑い話である。そして、一般的な短歌のイメージの中の「着物を着て和歌を短冊に書いている人」は平安貴族であり、要するに皇族である。

先述の島田修三の小文には「実は和歌というものから、多くの日本人がただちに連想するのは天皇家である」とあるが、多くの日本人が接しているヒエラルキー最下部の「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」において、すでに最上部の歌会始めが織り込まれている。現代短歌のコミュニティの中にいると、皇室との関わりはむしろ薄いと感じるのだが、外部から見れば、上から下まで皇室がらみと見えて当然だし、「そのように見えている」という事自体が、社会体制との親和性を非常に高いものにしている。

例えば、地方自治体は短歌コンクールをこぞって開催している。現代詩のそれと比較にならない程多いが、その底流には短歌ならば、決してラジカルなものが現れないだろうという安心感があるのだろう。新聞歌壇も同様で、社会を乱すようなラジカルなものは出て来ない(選ばれない)という信頼感の上に成り立っている。皇室を含めた和歌のイメージを無意識的に消費し続ける事によって現代歌人たちは権力からの信頼を集めているのであり、その事に気づいていないようなのである。

 

 

7、結社による教育を通過しない現代歌人

 

「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」から「プロというのか専門家というのか歌人」へのルートは、以前であれば、結社を通過するのが主であった。しかし、ここ30年の衰退ぶりが凄まじいのは先述した通りである。私の見る限りだと、その理由の一つに、結社から生まれる作品が新人にとって魅力的ではないという事がやはりあるのではないかと思う。

前掲の篠弘の結社に関する小文「新人を育てる責務」では、「一部の指導者に負担を掛ける甘える構造」を問題視しているが、指導者として育成の仕事に関わるあまり、作品が軽視されるという事はありはしないだろうか。指導者たちの作品の魅力が乏しければ、当該結社に入る理由もないのである。新人育成機関としての側面に重きをおくあまり、結社から発信される作品が当の新人にとって魅力の乏しいものになってゆくといった隘路には嵌まってはいないだろうか。結社運営の雑務が魅力的な作品の評価のさまたげになってはいないだろうか。

結社の求心力が減退している中で、元気が良いのが、「所属に縛られず、新聞投稿や仲間内の集会に参加するだけの、数値化できない多くの短歌作者」(今井恵子「結社の行方」)である。

ここ数年の代表的な例だと、ネットにおける肩肘を張らない同人誌の集まりがある。インターネットと短歌との相性の良さは以前から言われていたが、特にここ数年はネット上で気軽に活動するインフラが整いはじめ、もはや無視できない存在になっている。

 

緩やかでしなやかな関係を保ちながら歌人が肩を寄せあう。そんなリトルマガジンが三つ創刊された。

中東在住経験がある超結社の歌人たちが集まった「中東短歌」。山中智惠子を愛好するメンバーによる「山中智惠子論集」。さらには若手男性歌人10人の有志が発行した「短歌男子」。今年に入って

創刊されたこれらの雑誌には、結社誌や同人誌とは異なる自由な雰囲気が流れている。

(短歌月評:緩やかな連帯 大辻隆弘 毎日新聞二〇一三年四月二九日)

 

これらの冊子には、結社組織に属している人もいるが、その多くが無所属の人々で構成されている。ここで例示されている三誌は同人誌形式だが、ネットでの繋がり方は、その継続性を重視しない所と多様性にある。三々五々、人々が集まり、「緩やかでしなやかな関係」を持ち、冊子という形を自然に残し、緩やかに収束する。もちろん、面白かったら継続すればいいし、気が向いたら、今度は別のネット上の短歌コミュニティに参加している人たちと連帯し、同人誌を発行するのもありだろう。

そもそも同人誌という形式にこだわらなくても、ウェブサイトや無料のブログサービスを使って作品を残してもいいだろう。最近はスマートフォンのカメラ機能等を使ってネット上に生中継を公開できるサービス(USTREAMなど)があるから、歌会を生中継する事も可能だ。

短歌に興味を持っていながらも地方在住であるなどの理由で周囲に短歌を愛好する者がいない人が、ネット上で他の同好者の存在を知り、緩やかに繋がってゆく。短歌に限った事ではないが、今まで自分ひとりだと思っていた人たちがネットのインフラを使い同好者を求め合い、一つの流れを作ってゆく。ネットの常時接続やスマートフォン、新しいソーシャルネットワーキングサービスの登場により、同じ趣味を持った人間が繋がりやすい環境が整備された事でこういった無所属の小集団は、今後更に増えてゆくだろう。

こういったメディアから、結社を経由せずに「プロというのか専門家」へ、じかに入ってくる人も出てきている。これらの人たちに結社ははたして魅力的に映り得るのだろうか。

ネットの発達が人間の本性を急激に変える事はないだろうが、不変である人間の本性と親和性が高いインターネット上での短歌は、今後、新聞短歌を呑みこむ勢いで広がっていくだろう。

 

8、結び

 

前述のとおり、「歌壇」は、現代短歌を中心におき、その上部と下部を和歌イメージによって社会に接している。和歌から遠く離れているように見える口語短歌も外部からの受容のされ方において、その例外ではない。口語で短歌を作り、和歌を遠く離れたつもりでいても、「和歌(短歌)なのに面白い」「和歌(短歌)なのに簡単だ」、「とても和歌(短歌)には見えない」といった、あくまで和歌イメージの存在を前提にしたものなのだ。良くも悪くも歴史の恩寵から逃れる事はできないのである。

もし、歴史から完全に切り離された「純現代短歌」を作ったとしても、それはこの世界から望まれている短歌ではないのだから、ジャンルの劇的な縮小は免れないだろう。少数精鋭という言葉もあるので、それはそれで面白いものができるかも知れないが私はやはり、今井恵子のいう「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」を含み持った短歌に未来を感じる。

島田修三は前掲の文章で「短歌の総体とは、この和歌史を抱え込むことになる」と書いているが、事実として短歌は、和歌を抱え込んでいるからこそ、和歌のイメージはやっかいなのである。うちに和歌を内包しつつ、いびつな権威性をまといながら現代短歌はある。そして、口語短歌ですらそれと無縁ではないという事に留意しておく事が重要だ。

 

※読書案内

「風流夢譚」はキンドル版が出てます。
金井美恵子氏の批評は、「深沢七郎 —没後25年 ちょっと一服、冥土の道草」収録。アマゾンにあります。

高村典子『雲の輪郭』

子離れの時期も終はりぬ共にゐて傷まぬだけの妥協覚えて

もう何も言はなくていい水桶の蜆はわづか隙間持ちあふ

ひそやかな最初の雨のひと粒はどこに降りしや 噴水みつる

持ち帰る怖さに伯母を納骨すわが建てし墓石の伯父の片へに

襁褓替へる手の冷たさに泣きし子よわが手が汝の世界のはじめ

高村典子『雲の輪郭』より

 

 

子育ての歌というと世界との合一感に満ちたものが多いが、掲出一首目はその別の側面を鮮やかに描写している。この歌に限らず、当歌集は、世界の暴力的な健やかさによってかき消されてしまう微かなノイズに満ちている。最後に挙げた歌も子育ての歌だが、子供との一体感と共に世界への批評がある。子供が初めて出会った母である「わが手」は、冷たいのである。   (嵯峨直樹)

2014.11 未来 「今月の歌」

井辻朱美『クラウド』

赤ん坊のえくぼのようにくぼむ水は無限バイトのメモリーを持つ

ゆく風の魔法陣に立ちて呼ばわればしずかに繰り上がる宇宙のかけ算

いくらでも穂わたはとばしてあげるからあなたは風にまもられていなさい

非現実とこの世を接合したような薄さでかなたに立ちのぼる富士

きらきらとまぶされている生命のような世迷い言のような夏

辻井朱美『クラウド』より

 

 

第六歌集。ファンタジー小説的な「設定」を元に異世界を構築してゆくのではなく、現世の約束事、すなわち「設定」をほぐしてゆく。そこに現れたのは、混沌とした力に溢れる現世だ。あとがきとして、「『詩』の火力」という熱量の高い一文が添えられており必読。言葉の連ね方も、より自由度を増し風通しがよくなった。                     (嵯峨直樹)

2014.10 未来 「今月の歌」

梶原さい子『リアス/椿』

はぐれてもどこかで会へる 人混みに結び合ふ指いつかゆるめて

腑を裂けば卵あふれたりあふれきてもうとどまらぬいのちの潮(うしお)

それでも朝は来ることをやめぬ 泥の乾(ひ)るひとつひとつの入り江の奥に

原発に子らを就職させ来たる教師達のペンだこを思(も)ふ

目にかかる髪を幾度も払ひをり海から海へ吹いてゆく風

梶原さい子『リアス/椿』より

 

 

気仙沼出身の作者の第三歌集。歌集は二つの章に分断され、東日本大震災前の歌を「以前」、震災後の歌を「以後」としている。掲出二首目までが「以前」、三首目からが「以後」。詠われている素材はもちろんだが歌柄が大きく三陸沿岸の風土を思わせる。五首目は、湿った冷たい海風に髪を晒し、その風土そのものになろうとしているようでもある。           (嵯峨直樹)

2014.9 未来 「今月の歌」

 

松村正直『午前3時を過ぎて』

立場上引き止めているだけなるを鴉は屋根に二度三度鳴く

ひっそりと長く湯浴みをしていたり同窓会より戻りて妻は

出勤の前のひととき仰向けの二十一本の子の歯をみがく

打ち明けるような口調で語りゆくことばが本音であるのかどうか

話しながら少し話を巻き戻すどこから不機嫌だったか君は

松村正直    『午前3時を過ぎて』より

 

 

三十五歳から四十歳までの歌を収める第三歌集。第一歌集の頃の軽やかな口語は息を潜め、文語口語問わず言葉に複雑な陰影がある。掲出一首目に代表されるように人との係わりで生じる心理の綾をクリアに掬いとる。関係性のコアの部分を純化して描くのではなく、歳を重ねるにつれて複雑化する関係性を省略なく描ける巧みさ、したたかさが魅力的だ。       (嵯峨直樹)

2014.8 未来 「今月の歌」

大崎瀬都『メロンパン』

感応式信号機に認知させるため軽自動車をせり出してみる

一生に二度ない今日の夕暮れをわれは寄席にてまどろみてをり

スカートのなかで左右の内ももが触れあつてゐる雨の七夕

さよならの挨拶のあとほほゑみの瞬時に消える彼女はいつも

われにまだ父母ありて川花火を見てをり団扇の風を受けつつ

大崎瀬都    『メロンパン』より

 

第三歌集。描写のゆきとどいた作風が特徴。一首目、三首目のようにきめ細やかさのレベルはほとんど瑣事といっても良いくらいである。これら日常の瑣事が作者の手にかかると奇妙に強力な輝きを放つ。その理由は、掲出二首目の「一生に二度ない」という一語に集約されるだろう。生と死へのクリアな認識が著者の作品の底流には常にあり、切ない。         (嵯峨直樹)

2014.7 未来 「今月の歌」

富田睦子『さやの響き』

おそらくは頭蓋のかたさ右腹のしこりに触れれば金の陽のさす

心臓を吸いだすごとく乳を飲むみどり子はつか朱(あけ)に染まりて

永遠に笑顔であらねば後ろ指さされる気がする子を抱き歩けば

プレと呼ぶ二歳児クラスに集う子ら紙吹雪めく両手を掲げて

分かち合うキャラメル身ぬちにほどけゆくママ友というかりそめの友

富田睦子    『さやの響き』より

 

濃密な母子の香りの満ちる第一歌集。あとがきに「私の生活を大きく占めていたのは妊娠・出産・育児でした」とある通り、母としての歌が大部分を占める。一首目のように「右腹のしこり」であった幼子は、作者の肉体から別れ、じわりじわりと社会的な存在感を増してゆく。五首目は「ママ友」という微妙な関係性を肉を伴った言葉で批評している。           (嵯峨直樹)

2014.6 未来 「今月の歌」

高橋みずほ『坂となる道』  

カップの内の泡つぶを数えはじめる子のひかり

ぐいとひとがひけばあるきだす繰り返しつつ夕暮れて 犬

いつよりか声うしなわれてひと日ひと日と口奥の砂嵐

銀杏の実の匂い立つ砂利の道もうだれもしらない

雨の 音 雨の 音 めざめてくらく明け方の粒の重さは

高橋みずほ    『坂となる道』より

 

第六歌集。言葉のきらめきを瞬間冷凍させたような作品が並ぶ。言葉の接続の仕方はどれも順当なものではない。例えば一首目の結句、「子のひかり」は数を覚えはじめた子供の命の、いっときの輝きを的確に捉える。やや強引な言葉の接続は短歌的なフォルムを意図的に逸脱しており、世界とのより直接的な、より生な関わり方を試みる。               (嵯峨直樹)

2014.5 未来 「今月の歌」