師弟関係の形はさまざまだと思う。
私の場合、師は岡井隆である。
本当にそうかと思う時がある。いつの時代の話だよと。
「師弟」と書いてから、万が一、外部の人が見たらどんな風に思うのだろうとひやひやする。
師匠にお金をつつむとか、歌を直されるとか、師匠の前では正座をくずしてはいけないとか。
もちろんそんな事は当然ない。
しかし、師弟関係は存在するし、自分は弟子だなと思う。
弟子なんて、とっくに滅んだものを擬古的に再現して面白がっているように見えるかも知れないが、やはり、思いの他深く弟子である。
この師弟関係を強固なものにしているのは師による選歌だろう。
ある月の結社誌に10首だして、7首しか載らないとする。
3首は師が落したのだ。
なぜ落としたか理由は明示されない。
師が何を思って3首を落したのかを推察する事になる。
ある一首を掲載しない事。
たったこれだけだが、大きなメッセージになる。
理由を明示されないからああだこうだ自分で考える。
非効率的なようだが、案外と理にかなっているのではないか。
実際のところ、「悪いところ」は自分で気づく以外にはない。
「悪いところ」と書いた。
ここでいう「悪いところ」とは当然、師の価値観によるものである。
こうして師の価値観をどんどん内面化してゆく。
実にうまくできた制度ではないか。
ちょっとした事(ある歌を載せない事)で最大限の影響を与えてしまう。
私にとっての師弟関係の半分くらいはこの選歌である。
あとの半分は、師の著作や言動から受ける影響で、私は主に短歌を作る時の心構えのようなものを学んだように思う。
(続く)※やる事あるので少し休む