amazonの「みずからの火」のレビューに佐野波布一氏がレビューを寄せています。
率直にいうと、文学友達の批判を聞いている感じがしました。
少々人恋しい、懐かしい感慨めいたものもあります。
実に丁寧に読み、批判している、その熱に感動すると共に「そうじゃないんだよね」という思いも多く沸きました。
わたしの歌に対する批評について、言いたい事もありますがここは最小限にとどめます。
短歌は詩であると同時に歌であること、重複表現はわざとやる場合もあるということ、このくらいです。
このレビューは以下で締めくくられています。
しかしその挫折した幼児性という決して現実化しないピュアさを40代になって抱え続けていることを、
そのままピュアで美しいと真に受けて評価することは簡単ですが、
僕はこういう現実逃避的な自意識表現を評価しているようでは文学に明日はないと思っています。
この辺りは「文学に明日はない」と文学の明日の心配までされています。
私の表現を短歌界では「評価している」方が多い事を前提とされているようですが、これは間違いです。
「挫折した幼児性という決して現実化しないピュアさ」。
この点↑は、私が短歌の世界で幾度となく批判されてきた事ですので、短歌界は健全です。
それにしても、この言葉は今まで批判された方の中でもっとも的確で丁寧な表現かも知れません。
といって私はこの手の純粋性への志向が強く、批判されても今さらやめられる類いのものでもありません。
文学の未来などに関わりなく、好きなようにやるだけです。
あと「40代にもなって」は余計でしょう!
年齢は関係ありませんよね。
それと、★が二つというのは何とかならないものか。
私のAmazonのレビューは以前の歌集を見て分かるとおり、レビューがつく事が少ないので、一つのレビューでこれをやられると非常に目立ち痛いのです。
もしこの記事をお読みならせめて★を三つ、欲を言えば四つにしてください。