使ったことがないアプリケーションをいじっている。
使い慣れていないアプリに没頭、苦闘していると悪夢のなかにいるようだ。
SUPERCARは引き続きよく聴く。
なぜリアルタイムで避けてしまったのか悔やまれる。
同じようにリアルタイムで避けたことで悔やむのはエウレカセブン。
使ったことがないアプリケーションをいじっている。
使い慣れていないアプリに没頭、苦闘していると悪夢のなかにいるようだ。
SUPERCARは引き続きよく聴く。
なぜリアルタイムで避けてしまったのか悔やまれる。
同じようにリアルタイムで避けたことで悔やむのはエウレカセブン。
SUPERCARを最近きいている。
テクノがあんまり好きではないのとどこかスカした印象(思い込み)があったのでリアルタイムではスルーしてしまった。
SUPERCARよりもどこかダサさがあるくるりを選んでいた。
SUPERCARのLuckyという曲は「わたし!」という語からはじまって驚く。初期のシューゲイザー的な音のころが好み。
「わたし!」に自意識のひりついた痛みを感じる。男性ボーカルで「ぼくは!」ならどうだったかなどと考えてしまう。
とがった音像なのに歌詞が甘いのがいい。
自宅で過ごす時間が多少ふえて普段みないドラマを見たりしている。
去年TBS放送した「最愛」というドラマが良すぎた。最初はよくあるサスペンスものという感じで気楽に見ていたのだが。
脚本は奥寺佐渡子という岩手県出身の方。
才能ある方々が集まってひとつの作品を作るという行為そのものに感動する。
日々忙しく更新する機会を逸していた。物理的にというより精神的に忙しい。
自分の仕事はとても生々しくお金と結びついているため心がすさみがちだ。
NHKのクラシックTVで「ビーチ・ボーイズのティーンエイジ・シンフォニー」という特集をやっていた。ふいにGod Only Knowsがかかって泣きそうになった。
自分の感情が生きていたことにほっとした。新型コロナが蔓延している。
今月の「現代短歌」に作品連載24首が載っています。
短歌の連作を作っている。
具体を入れるのを厭う気持ちが年々つよくなり、イメージを結びにくいものばかりできる。よくない傾向と思いつつも自身の生理には逆らえないし、逆らって書くほどの動機もない。
連作を作るつもりが、途中で忙しくなってしまい構築する暇がなくなってしまった。
最近は第一歌集以前の歌を読み直している。気恥ずかしくて長くできなかった事。
なぜこれを落したのか。逆になぜこれを入れたのかというのを思い返している。
今月の「現代短歌」に作品連載24首が載っています。
連載作品の原稿を出してひと段落といったところ。
最近シューゲイザーをよく聴く。私の世代のものだ。
轟音のギターが夢心地にさせてくれるサウンド。
大音量で聞かなくてはほぼ意味がない。
車を走らせながら聴くのはおすすめしない。危ない。だが聴いてしまう。ダメじゃん。
シューゲイザーといったらRIDEとマイブラ。
マイブラはこの方法を突き詰めて「ラヴレス 」という傑作アルバムを作った。
マイブラを聴いているとひりついた痛みのような感情が沸き上がってくる。泣きたくなる時もある。思考がふわっと飛んでしまう。
マイブラが方法を突き詰めたのに対し、ビートルズが作ったポップ(ロック)の型を崩そうとしなかったのがRIDEだ。
ポップの型を死守する。破壊したらもっと跳べるかも知れないのに跳んでたまるかというように地に足をつけたがる。
ビートルズ未満、マイブラ未満、OASIS未満(RIDEのアンディ・ベルはOASISのメンバーだった)、いろいろ足りない。いつもほんの少し物足りない思いをしながら聴き終わる。しかし、最後の最後には、いつもマイブラではなく、OASISでもなくてRIDEを選んでしまう。
骨組みを屈みこませて服をぬぐかたちがまるで鏡のようで
鉄錆の匂いしみつくてのひらを開けばふかい闇が閉ざした
おすすめのご飯屋さんで向かいあいまばゆいひかり食むみたく話す
合金を心のおもてに編み込んできらめくような表情をする