歌集からもれた歌(半地下)2

盛夏の手紙

体温は葡萄のいろの室内に確かにあった 指を離すな

一日を雨が濡らしていたらしい胸の底部の湿りに気づく

身体は闇に閉じかね濡れている一つの愛を遂げたる後も

初出「美志 復刊2号」


3首目は
下句が定型的な表現になっている。これは意図しているが、問題は重すぎる事だった。
こういったコメント付きなら発表したい歌。

歌集からもれた歌(半地下)1

ささくれ

たましいの輪郭すこしささくれて。暗く流れる川をみている

その名前だけはセカイの底にある はるかな夏に開く向日葵

8階の小部屋でランチの封を解く チキンの匂いに少し落ち着く

くちづけに次ぐくちづけで現実を防いでいると月がしろいよ

たましいの底部の傷を探りだす手つきで後ろから抱いている

放尿の音がするどく響く部屋 非常にふかく繋がった後

どうぶつの匂いが一瞬きつくなる髪をいじって遊んでいると

口中の蜜を探っている舌のぬくみを思う雪ふる夜に

 

初出「美志 復刊1号」


どんな歌を佳い歌とするかは、その時その時でちがう。
露悪的になる時の素直な感情のうごきを最近は嫌いじゃない。
しかし、数年後は、また違うかも知れない。

2018年12月

コスモスのかたち溢れる ゆれる血を結んだような小さな予感

満月はしろく濁って身じろぎのたびにかすかな息をこぼした

あかい夕 白い手足の絡まりを活けて円かな月球うかぶ

手垢のついた表現について2

自身について考えるために書く。

海音にふたりの部屋は閉ざされてもういい何も話さなくても

率直にいうと、自作でありながら、私はこの歌が好きなのだ。
こういった瞬間は、恋愛の只中にあれば誰しも経験する事だと思う。ある甘やかないっとき。
それでいて、シチュエーションが出来過ぎているから、現実には無かった風景のようでもある。
こうあって欲しいが、永遠に(死ぬまで)かなわない風景。

もう少しこの世界に拘泥して描き切っておきたかった。

類似歌について

ツイッターで武田穂佳さんが以下のような指摘をしてくれた。

少し時間をおいた上で今日はこの指摘について書こうと思う。
私は盛岡の短歌甲子園の審査員を長くしていて、土谷さんの歌は2015年、盛岡四校が優勝した年の優秀作品賞を受賞している。

参照元: 第10回 全国高校生短歌大会(短歌甲子園2015)

まだ君は眠ってるだろう
静けさの
自転車置き場は海に似ている 土谷映里

私のは、その次の年(2016年)の短歌研究5月号の為に作った。

もう君は不在だったかこの朝の駐輪場は銀色の海 嵯峨直樹

  • 土谷さんの「まだ君」とわたしの「もう君」という初句の類似。
  • 二句切れ
  • 初句~二句まで心情の吐露、三句目以降がイメージ
  • 自転車置き場=海という発想の類似

オマージュであったらまだマシだが、作歌している時に、私の頭には土谷さんの歌はなかった(つもりであった)。土谷さんの歌の喚起した美しいイメージや、歌のすがたが私の無意識に沈殿して、作歌の際に引き出されたのだと思う。それが自分はとても怖い。

ちなみに私のは三鷹駅前の駐輪場のイメージで、かつて亡くなった友人への挽歌のつもりであった。

土谷さんは武田さんがSNSで指摘するはるか前に気づいていて、不快に思っていたのではないか。心よりお詫びする。
武田さんのご指摘にも感謝。

盗用かどうかについては微妙なところではないかというのが私の今の見解である。

短歌研究に発表した私の一連を以下に参考までに。

 

アブセンス                嵯峨直樹

艶やかな文字の点れる伊勢佐木に煙のような月は昇れり

もう君は不在だったかこの朝の駐輪場は銀色の海

今日も見る紅(べに)淡き梅崩えながら曇天の苦の風に馴染めり

マンションの白い光を載せている波あまたなり郊外の川

穏やかな離散を約束されながら瑞々しくもふきのとう咲く

ゆらゆらと血に浸りいる種あって春雨の打つ音ひびかせる

(短歌研究2016.5)

 

わたしの一連に関して言えば、強く主張するほどの独自性はないと言えるし、またそのようにしている。もしかしたら、自身のこの作法が今回のようなことを誘いだしたのかも知れない。
朝の駐輪場=海という発想がそれなりに個性的でありながら、突出していない

 

 

手垢のついた表現について

考えるために引き続き書く。専ら私ごとだが、私のブログだしアクセスも少ないので。

2004年に「ペイルグレーの海と空」を書いた意図は、自身にとっても複雑すぎて霧のようだ。
それが十年以上も私の深い処にひっかかり続けていて、落ち着かないのである。

海音にふたりの部屋は閉ざされてもういい何も話さなくても

冒頭の歌だがあまりに典型的な、型どおりの、しかし、ある型としては出来のいい部類の歌だ(と思う)。
作った当初から型どおりを意識していた。

この数年前に「ポップス」という連作を作っていたのを思い出す。
不倫する男女を主題にした連作で、ステロタイプな男女のどろどろを描いたものだった。
「ポップス」は不義の恋に身を焦がす男女の滑稽さを嘲笑する意図で書いた。気にいっていたがどこかにいっしまった。

「海音に~」の歌は、「ポップス」と同じように型どおりをめざしていながら、少なくとも作者はアイロニーを意図していない。
しかし、状況があまりにティピカルなので意地の悪い読み手がいたとしたら、アイロニーにもなり得るだろう。

海の近くが舞台なのは、ビーチボーイズの影響。
その頃は、型どおり、少しキツイ言い方だと、手垢のついた表現が重要だと思っていた。
ある表現が、手垢だらけになるのにはそれだけの理由がある、その表現が人間の本性にかなったものだからだ。
ザックリいうとこんな事を考えていた。

ついでに、だからこそ、現代詩が嫌いだった(今はそうではない)。

恋の歌を中心とした作品集

恋の歌で構成された作品集を編みたくて、最近、2000年代の作品を見直している。

短歌研究新人賞をとった「ペイルグレーの海と空」の頃。2004年の近辺。

過労死寸前まで追いこまれ、逃げるように仕事を辞めた時期だ。

ビーチボーイズのペットサウンズばかり聴いていた。

一日に何度も何度も聴く。それが毎日。

同居人はそれでこのアルバムが大嫌いになった。

呼気のたびに哀切な感情が雲のように沸く感じ。それでいて少しも押しつけがましくない感じ。

 

単純でいて単純でいてそばにいて単純でいてそばにいて

 

この歌はペットサウンズのDon’t Talk (Put Your Head On My Shoulder)という曲からインスパイアされた。

インスパイアとは大げさだな。

私はペットサウンズに魅せられるあまり、ペットサウンズをやりたかった。

(単純でいて‥はいい歌か?と問われると韻律に稚さが漂い微妙な部分がある。
だがその稚さは得がたいものだと今では思う。)

 

心身をおかしくして分かった事があった。

それ以前の冷笑的であったり、皮肉っぽい作品が自分にとって何のリアリティも無いという事である。

斜にかまえた態度は私の一時期の自意識を満足はさせたが、暴力的な現実に対してはバカバカしいほど無力であった。

(眠いのでやめるが続く、かもしれない)

歌集「みずからの火」への言及一覧

今年だした第三歌集について、ありがたい事に多くの方に言及いただいております。

ブログ、サイト等で触れていただいたものを順不同(ほぼグーグルで調べた順)にてリンク
SNSで触れていただいた方にもありがとう!

さいかち亭雑記ーさいかち真さん

▼存在しない何かへの憧れー工藤吉生さん

眠らない島ー岩尾淳子さん

壜ー高木佳子さん

馬場秀和ブログー馬場秀和さん

日々のクオリア(砂小屋書房)-染野太朗さん

短歌ブログ 浮遊物ー丸地卓也さん

《話題の新刊 (週刊朝日)》ー後藤明日香さん

 note-みずからの火」を読む 白井健康さん

 noteー嵯峨直樹 『みずからの火』(角川書店) とみいえひろこさん

まだ、あるかも知れません(まだあるよ!という方、連絡フォームにてご連絡いただけたら助かります)

 


みずからの火、嵯峨直樹

 

次は恋愛だけの歌集を編みたいなあと思ってます。

 

amazonの「みずからの火」のレビューについて思ったこと

amazonの「みずからの火」のレビューに佐野波布一氏がレビューを寄せています。

>>amazon「みずからの火」レビュー

率直にいうと、文学友達の批判を聞いている感じがしました。
少々人恋しい、懐かしい感慨めいたものもあります。
実に丁寧に読み、批判している、その熱に感動すると共に「そうじゃないんだよね」という思いも多く沸きました。
わたしの歌に対する批評について、言いたい事もありますがここは最小限にとどめます。
短歌は詩であると同時に歌であること、重複表現はわざとやる場合もあるということ、このくらいです。

このレビューは以下で締めくくられています。

しかしその挫折した幼児性という決して現実化しないピュアさを40代になって抱え続けていることを、
そのままピュアで美しいと真に受けて評価することは簡単ですが、
僕はこういう現実逃避的な自意識表現を評価しているようでは文学に明日はないと思っています。

この辺りは「文学に明日はない」と文学の明日の心配までされています。
私の表現を短歌界では「評価している」方が多い事を前提とされているようですが、これは間違いです。

挫折した幼児性という決して現実化しないピュアさ」。

この点↑は、私が短歌の世界で幾度となく批判されてきた事ですので、短歌界は健全です。

それにしても、この言葉は今まで批判された方の中でもっとも的確で丁寧な表現かも知れません。

といって私はこの手の純粋性への志向が強く、批判されても今さらやめられる類いのものでもありません。
文学の未来などに関わりなく、好きなようにやるだけです。

あと「40代にもなって」は余計でしょう!
年齢は関係ありませんよね。

それと、★が二つというのは何とかならないものか。
私のAmazonのレビューは以前の歌集を見て分かるとおり、レビューがつく事が少ないので、一つのレビューでこれをやられると非常に目立ち痛いのです。

もしこの記事をお読みならせめて★を三つ、欲を言えば四つにしてください。

本田一弘 『磐梯』

 

人はみな誰かの逆旅 夕されば死者ひとり来てひとり逆(むか)ふる

この花は誰(たれ)のあなうら亡き子らの白く小さなあなうらひらく

のどけしな磐梯の田は田植機をあまた侍らせ昼寝をしたる

超音波機器あてられて少女らのももいろの喉はつかにひかる

忘れえぬこゑみちてゐる夏のそら死者は生者を許さざりけり

 

福島在住の作者の第三歌集。東日本大震災、福島第二原発の事故の影響が歌集全体を覆う。挽歌も多いが妙にほの明るい印象を受けるのは掲出一首目に見られるような死生観のゆえだろう。
最後に挙げた一首は、歌集でも最後に収められている。かつてこの世を共に編んでいた死者は私達が命を終えるまで他者になってはくれない。(嵯峨直樹)

2015.5 未来 「今月の歌」