批評性について

先日、エルヴィス・コステロの比較的あたらしいアルバムをきいたが、やたらとロックしていて、まるで同時代への嫌がらせのようだなと思った。エレキギターなど古いといった潮流への嫌がらせ、あてこすり、よくいえば批評。
こんな態度は流行らないのではないか。

「半地下」という歌集をだしたとき、その時代の短歌の世界への批評のつもりで出したのを思い出した。
それを理解してくれた人は少なかった(が、いたのだ。ありがたい)と思う。
自分が作品をつくるとき、あるいは歌集をあむとき、どんな時も批評、批評で、疲れる。
しかし、それなしでは作品や歌集をあむことすらむずかしい。癖のようなものだ。
おおむね理解されないと思うことが多いのは、ほんとに理解されたいとは思っていないからかも知れない。
批評性というのは理解されたらある効力を失うという事があると思う。

↑しかしどうなのか…。とおして聞いたら何かくるしい気がしてきた。

くだんの歌集は寺山修司賞の候補になった。
それから2年後にはその賞自体がなくなった。

作品をつくる姿勢としてこういったものが当たり前であるという態度は未来という短歌結社の影響がつよい。
それがよかったのか、悪かったのかはわからない。

コステロのバラード

高校生のころから好きなミュージシャン。
真似をして黒縁めがねをしていたという恥かしい過去がある。

コステロは攻撃的な曲が多いけど、バラードもとてもいい。
有名なのはalisonだがこれはあまりに聴きすぎて、いつの間にか飽きてしまった。
一番すきなアルバムはall this useless beautyというので1996年の作品。
この数作前のspikeからが自分にとっての、リアルタイムのコステロだ。

useless beautyというのがいかにもコステロで、いかにもすぎてちょっと恥ずかしいが、こういった語の組み合わせからくる印象がすきだ。

最近はこの中でもさらに地味なMy Dark Lifeというのをよくきく。
sheという三人称が主人公で三人称主人公の歌詞をこのひとはよく書く。

apple music版のアルバムにはなかったので不思議だったけど、この曲はボーナストラックだった。
この曲きいてると、ほんとよくこんなメロディというか旋律が出てくるなあと思う。
バラード以外で一番好きなのは以下。

しかし、なんてかっこいいんだ!そして今回も短歌のことをかけなかった。

ほんものの信用できなさ

ほんものの信用できなさというのがある。
ビートルズは本物のビートルズだからビートルズのかっこいい所だけを見せてくれない。
ビートルズのここが良いんだ、かっこいいんだ、というのがあるのだが、本物のビートルズだから、そうでない所も当然ある。
動画はラトルズというビートルズのパロディバンドだが、本物とちがってビートルズの良い部分を濃縮して見せてくれる。
にせものだから信頼できる。ラトルズはビートルズよりもビートルズが濃縮されているから大好きだ。
中心メンバーはニールイネスというひとで、最近亡くなった。

ニールイネスのジョンレノンの声真似も、本物のジョンレノンよりジョンレノン。
喉にかかってザラっとしたノイズが混じる感じというか。
このチーズアンドオニオンという曲はラトルズ屈指の名曲。

こちらはアイ・アム・ザ・ウォルラスよりも好きだと思う時がある。
本物はアイ・アム・ザ・ウォルラスみたいな曲を二度は作ってくれない。
でもアイ・アム・ザ・ウォルラスが好きならアイ・アム・ザ・ウォルラスみたいな曲が10曲あっても好きになれる。

内面のゆるされた人1(美志22号)

じりじりと輪郭灼けている人をはるか間近にみはるかす昼

 

みひらいた空にみられているとしてゆるい速度に定まるこころ

 

朝夕をしたしく愛でて純粋になったあなたは関わりをもつ

 

粘土のたかい雲かたまって心とかあまい匂いのものがきざした

 

かの日からみひらきぱなし何一つ見ないつぶさにみはらすために

 

金属の定まり方に定まったかたちにぎんの硬貨をいれる

 

かみあきたガムのはりつく自販機の硬貨投入口のぎんいろ

 

はなされて切り立つ胸よなまぬるい風がとおりを今日もみたして

 

崩落の予感にひらく内面をブルーシートで淡く覆った

 

夕雲は粘度をましてゆっくりと動きをとめたとてもしずかに

 

漆黒の悪意があると言いつのる無害な日々を車があおる

 

ぎんいろの足場くまれた建て物のブルーシートは街になじんで

 

心という瀟洒な趣味を持ちながらひとがまどろむ夜にみひらく

 

あくがれて鋭い影を見せながらアスファルトの路ひくく低く飛ぶ

 

くりかえす取り返すからあったはずはるか日なたに綾なすかたち

 

血脈の入り組みのなか息ひそめあまりに長い棺であった

 

疼痛のひくい持続に耐えている総て剥きだすすいっときがくる

 

はらってもさしのばしくる甘い手よ屋根のかすれてかがやかな家

 

破裂する音はかわいてとの曇る空気にとけてはやく散った

 

くりかえし瞬間はある 再生の予感にはつか触れるひとびと


元原稿をみたら、タイトルは「ぎんいろ1」となっていた。
美志掲載のタイトルはあからさまなので歌集に収めるときに変えるかも知れない。

Joji

最近よくJoji をきく。
とんでもない甘やかさと殺伐とした感じ。痛ましいが金属的で正確な感じ。
Glimpse of Usは何か昭和歌謡を彷彿とされせる。

自己愛は周到に抑制されているが、自己愛に満ちている、のにいたましい。妙に品がよいのは、Joji が元々「品がわるい」YouTuberだったからなのかも知れない。

 

美志

同人誌の美志が刷り上がってきた。

このために短歌の連作を作ったが心によくなかった。

表現との関わり方は皮肉でもなんでなく、もう少し健やかでありたい。

夏めいてきた

雑誌にのった自身の連作を読んで落胆させられなかったので気分がいい。
雑誌は作品をつくって数か月後だから、その頃には自身の情熱が客観視できるようになっていて、たいていは作品が色あせてみえる。
他の方の作品よりもまずは自身の作品をやはり気にしてしまう(他の方に申し訳ないけど)。色あせていないかが不安で、やっぱりと思うことが多い。

夏めいてきた。夏に聴く頻度が増えるのはビーチボーイズだ。

Good Vibrationsを聴いた時の衝撃は忘れられない。極限まではりつめた純粋性というのか。そんなものを感じた。
ビーチボーイズの曲のほとんどはリーダーのブライアンウィルソンの作。
この曲も例外ではない。当時ライバルであったビートルズと異なるのは、彼が曲のプロデュースまで行っていた点だ。
ビートルズにはジョージマーティンがいたが、ブライアンは曲のライティングだけでなくアレンジメントまで全て一人で行う必要があった。ビートルズと異なるのはそこで、どこでどんな楽器を鳴らすとかすべての音をブライアンウィルソンがハンドリングしている。更にビートルズには複数のソングライターがいる。結果、彼は英国からきたビートルズにひとりで対抗するプレッシャーからSMiLEというアルバムの制作途中で精神に不調をきたしてまう。その後、ブライアンはメンタルを長くやられて音楽業界からリタイア状態になる。
Good VibrationsはそのSMiLEに収められるはずだった曲で全米ナンバーワンを獲得。
アルバムSMiLEは結果として完成されずに投げ出され、世界一有名な未発表アルバムになった。

Good Vibrationsはブライアンの心の病のはじまりであり、その後長いリタイア、セミリタイア時代を経て、1988年に突如、ソロアーティストとして復活をとげる。

このLove And Mercyも自分にとってはとても大切な曲だ。痛ましいまでの透明感。
そのブライアンも先日80歳になった。

Van dyke Parks

Van dyke Parksは私の好きなThe Beach BoysのSMiLEの共作者。
ソング・サイクルという名盤があってよく聴いてきた。軽い気持ちで紹介しようと思ったが、Wikiが今はあるからそうそう適当な事は書けない。

ソング・サイクル(Song Cycle)は、ヴァン・ダイク・パークスが1968年にリリースしたアルバムである。込められた壮大な野心、つぎ込まれた法外な予算、そして全くふるわなかった売り上げで有名である。

ソング・サイクル(Wikipedia)

 

しかし、Wikipediaはいつになく辛辣。海外のものを直訳したのだろうか。名盤として名高いはずだ。

古いミュージカル映画の音楽みたいな感じだけど、カッチリした音作りではなく、微妙に音がゆるめられている。まどろむ感じというのか。夢見心地な感じでインスピレーションを沢山くれる。寝る時に聴くとよく眠れる。最初はなんて変な声だと思ったのを覚えている。何かすべてにおいてへろへろなところがよい。
ビートルズのサージェントペパーが1967年。当時から見た「古き良き」時代のミュージカル映画のイメージでつくられている。

この人の「jump!」というアルバムもいい。

ビーチボーイズと同じ成分でてきていると思う。