引き続き考えるために書く。
私がもっとも影響を受けたのは、岡井隆の他に、加藤治郎、東直子、穂村弘といった歌人である。つけ加えると田中槐という歌人もそうだ。
これらの人達は私の表現の根っこにある。
中学時代から、地方で地道に文語調の短歌を作ってきた自身にとって、これらの人々の口語歌との出会いはショッキングだった。
こんな歌が作りたいとあこがれ、一生懸命口語体の歌を作ってはみたが、それまで作ってきた文語体と比較すると、もうどうしようもなくみすぼらしいものだった。
文語の癖がついていたせいか言葉が自由にならない。文語だとそれなりにできるものが口語でやると見られたものではなかった。
口語になると言葉が自由にならない、コントロールできない感じがあって、それは短歌研究新人賞をとってからも続いた。
また、上に挙げたような人達には口語なのに様式的な美しさのようなものがあったが自分のにはそれがないと思った。
その原因を短歌の様式にたいする不勉強に求めた。
文語調でやってきたものを中途で口語に変えたために、短歌的な表現の様式を身につけていないのだと思った。
短歌表現の定石、型にはまった表現を身につけるために、オーソドクスな作風と思われる作家の歌集を沢山読んだ。
例えば、「枝差し交す」とか「●●顕つ」「桜泡立つ」とか短歌で常套的に用いられる表現の組み合わせの仕方を、身に浸透させれば、様式的に美しい短歌ができると思った。
歌のテーマは「性愛」だった。
常套的なものだが、常套的なものにしか真実がないと思っていた。
大きな方向性としては型にはまった表現と常套性だったが、当然、自身の心情を元に歌を作るのだから、型の中に、常套の中に、独自な情感が滲むはずだった。
この歌集では口語で作るのはあきらめている。できる段階ではなかった。