こちらは「兆し」一連から漏れた歌。
少しづつこわれる空から降ってくる破片ときおりとても鋭い
逆光に守られながら笑ってる差し入る視線に損なわれるまで
水流のきらめきのよう先ぶれは数限りなくくじかれて夏
先ぶれはくじかれながらひとまとまりの表情としてひとりに向かう
こちらは「兆し」一連から漏れた歌。
少しづつこわれる空から降ってくる破片ときおりとても鋭い
逆光に守られながら笑ってる差し入る視線に損なわれるまで
水流のきらめきのよう先ぶれは数限りなくくじかれて夏
先ぶれはくじかれながらひとまとまりの表情としてひとりに向かう
おんがくのように降りつぐこな雪を指さしながら笑うひとたち
損傷した果実のような気がかかりが冬の夕べに約束される
眼底の少しさみしい閃きは萌黄のビーチガラスみたいで
ガラス戸に薄く映っているひとは本をひらいた 髪かきあげて
雪みちに浅い足あとつけながらメロンソーダのグミ分けながら
唐突にふたり笑った 甘い粉にまみれた指をピンと開いて
みるく色に空はこごって初めての雫で頬を濡らしたらきみ
幾つもの色を重ねてきみっぽい準急電車の引き裂く向こう
星々が重いほてりを示すからとても死んで欲しいキス
(2019年11月ごろ、未発表)
火のなかの昏く溜まった血のなかの淡い骨組みゆらめいている
ベランダのか細い柵に赤茶けた錆がさかえる今日のひぐれも
傷ぐちがすこし開いているようで日暮れのあかい街並みのよう
葉をおとす木立の道を肩ならべ歩いた 皮膚をこわばらせつつ
自販機の取り出し口に落ちてきたペットボトルにゆれている水
あお空にほどけつづけるわた雲の消え失せそうな部分は光
淡いかげわずか重なっているところ予兆のように密度が濃くて
美容院のガラスにうつる車たちときたま銀をひらめかせつつ
(2019年11月ごろ、未発表)
いくぶんか濁りを帯びた月光の苦みに気づいていない口づけ
気づいてはいない頬笑み草むらの密な処に秋雨が差す
雨つぶの光またたくほんのりと明るく広い秋空のもと
おそ夏のさわだちのなか何となくひんやりとした手を重ねあう
しろがねの心音のごと澄みながら虫の音ひびく暗やみの家
(2018年9月ごろ、未発表)
海原に水の破片の散らかって乱反射する いて欲しいひと
海原の軽いかがやき逆光の君らしきもの抱きとめている
きらきらと凍った涙光らせて無表情なひと手をつなぎたい
こわばった海の芯からあふれ出てもう安らかな闇夜がきたよ
(2018年末ごろ、未発表)
よく慣れた背中、太股、足の指。触れると今日も寝入ってしまう
靴下も脱いでしまえば薄闇にさだまり難し二人の身体
倦怠は愛を優しくするものか寝入った人の髪を撫でつつ
深みへと滑らせてゆく指先は怒りのような力を秘めて
たましいの宿った肉の突端が人の気配にひどくざわめく
水中に手を潜らせる細胞の欠片を集めるようなしぐさで
きんいろの栗のごはんを盛りながら待っているのは家のひとたち
黙々とみかんの皮をむいている今日は小さな失望があって
輪郭がゆんわり混ざる肝心なところでふかくつながる秋夜
ささやかなブログとはいえこうして発表するのは、歌集から外しておきながら、根っこの処では、これらが悪い作品とは思っていないからだ。
しかし、仮に自分以外が一首目のような作品を出してきたとしたら、良い顔をしないと思う。
他人がこういった作品を出してきた時、自分が何を言うかも見当がつくから、収録を避けたのだろう。
思い入れの深い歌だ。
どう受け取られるのであれ、作者の思い入れの深さだけは伝わりそうだ。
先日あげた「終わりの日」というタイトルは後から修正したもので元は「世界消灯」という一連だった(更に前の原稿を見つけて知った)。
実際は「わらわらと仮想の僕が走りだすしなるペニスを振りまわしつつ」という何やらテンションの高い歌から始まる一連で、最後は、「世界消灯、世界消灯、アナウンス聞こえくる朝制服を着る」という歌集に収めた歌で終わっている。
歌集に入れるかどうかをこの一連だけは岡井さんに聞き、入れなくていいんじゃないか、と言われた覚えがある。冒頭の一首が原因だったのだろうと思う。
同系統のものには、「1999年7の月」がある。同世代になら分かるかの予言をネタにしている。
1999年7の月
さしこみ口にさしこむものが見つかってレベルが上がる上ガル日がくる
千年を待っていました靴下の片一方が降ってくる日を
終りの日
建物がゆっくり倒れてゆくまひるきれいな風が眠りを誘う
システムの飛ばした白いセスナ機が僕の頭上をばくぜんとゆく
海ぎわの発電施設が放射する無色の毒が身体を洗う
破損した腿の中から血の液があふれ出ているまだ生きていた
歩くたび液が出るから階段を汚してしまう傷ついた人
水くんで水くんで人にかけているまだ生きているかも知れなくて
しんでいるひとらの上でみぎ→ひだり防犯カメラの確かな軌跡
標識の矢印のさす方角が僕の歴史のゆきつくところ
老人は影をなくしてしにましたペデストリアンデッキの上で
昼ごろは晴れていました夕方は晴れていました大災害の日
太陽はくりかえし来て表面を一定量の光で満たす
あくる朝影のきわだつ瓦礫から石を拾ってポケットに入れる
自身の歌を読み返している。
ささくれ
たましいの輪郭すこしささくれて。暗く流れる川をみている
その名前だけはセカイの底にある はるかな夏に開く向日葵
8階の小部屋でランチの封を解く チキンの匂いに少し落ち着く
くちづけに次ぐくちづけで現実を防いでいると月がしろいよ
たましいの底部の傷を探りだす手つきで後ろから抱いている
放尿の音がするどく響く部屋 非常にふかく繋がった後
どうぶつの匂いが一瞬きつくなる髪をいじって遊んでいると
口中の蜜を探っている舌のぬくみを思う雪ふる夜に
初出「美志 復刊1号」
どんな歌を佳い歌とするかは、その時その時でちがう。
露悪的になる時の素直な感情のうごきを最近は嫌いじゃない。
しかし、数年後は、また違うかも知れない。